ラブレターの代書人

 

エコパスタジアムでサッカー日本代表がプレーした、2002年ワールドカップの年、私はテレビの試合中継を横目に見ながら、毎晩、机に向かいその秋に受験する行政書士試験の勉強をしていました。その冬に運よく合格することが出来、勤務先を退職し、失業保険でパソコンスクールに通うところから人生を再スタートしました。 

 

私は行政書士という職業に救われました。自分の人生を取り戻すきっかけになったのは何か、といえば行政書士試験を受けたことであり、試験勉強のきっかけは禁煙です。禁煙のきっかけは不摂生がたたって一週間寝込んだことであり、不摂生が続いた原因は20代の頃、司法書士の試験勉強に挫折して目標を失ったことです。

 

人生なにがどう繋がるのか分からないものです。 

 

昭和26年に行政書士制度が出来てから今年で70年になります。

大正9年の内務省令代書人規則等で法制化された職業が引き継がれる形で誕生しました。

 

その役割は行政書士倫理綱領の冒頭に「国民と行政との絆として」という文言で表現されています。 

 

私のイメージでは世の中を「海」に例えると、行政書士=サンゴ礁と共生するクマノミです。相談者の方の悩みを解決できるのがどの専門家なのか、またそれが行政書士の業務であるかは簡単にわかりません。相談者の身近にいる専門家の方から紹介をいただくケースが多いのです。

 

開業後、仕事もあてもなくもがいていたある時、自分でどうこうしようと考えず、サンゴ礁を泳ぎまわり、お役に立てることをすればいいのだ、と感じました。 

 

曾祖父のひとりが大正から昭和初期の頃、裁判所の門前で代書人(今の司法書士)をしていたため、祖母から「お父さんは字が書けない人のためにラブレターを書いてあげたりもしていた」という昔話を聞かされていました。

 

コロナ禍をきっかけに許認可申請や届出など行政サービスが一つのプラットフォームに繋がり「より便利に」が加速しています。将来はどんな形でお役に立てるのか、まだまだ模索の途中ですが、祖母の昔話の教えは忘れないようにしたいです。