私の実家は大正時代から続く建築塗装店を家業としています。
いつも身近に職人さんがいる家庭で育ちました。
手先は不器用ですが、専門家、職人的な仕事に憧れていました。
もっとも就職活動もしないし、組織で働くことに抵抗感があったため、司法書士のように資格でごはんが食べられそうな道を目指さざるを得なかった、というのが正直なところです。
前回も「ものぐさ太郎」と書きましたが、アルバイトをするのも面倒でクリスマスなど、彼女にプレゼントをしたい時ぐらいしか、まとまったアルバイトをしませんでした。
現金が無くなって、プリペイドカードを金券ショップへ売りに行って、その日の食べ物を手に入れたこともあります。
とにかく追い込まれた状況で、卒業した年の夏まで東京に残り勉強しました。
そして試験に臨みましたが、結果は不合格。
周りの受験生と比べ自分の程度を思い知らされて落ち込みました。
仕送りもストップ、勉強を続ける覚悟も持てず、実家へ戻りました。