行政書士と私の人生 19(代書の意味)

 

行政書士という職業(行政書士法)が誕生したのは昭和26年です。私より20歳年上ですので、今年で71年目です。ちなみに行政書士法は「議員立法」で成立した法律です。

 

議員立法について、ちょっと長くなりますが、wikipediaの記事を一部抜粋した説明をご覧ください。

 

国会において成立する法律案の大多数が行政府たる内閣提出のものである。

慣行として内閣提出の法律案を優先して審議する傾向にあり、議員の発議

による法律案は提出されてもほとんど審議されることなく、廃案または

継続審議となることが多い。

こうした背景から国会議員による立法を特に議員立法と呼ぶようになった。

実際に議員立法として成立する法律案は、新しい価値観に基づいたもので

政府が前面に出て参画しにくいものであることが多い。

(以上、wikipediaの行政書士法ページより一部抜粋)

 

という訳で、行政書士法は成立したときは当然ですが、改正をする時にも国会議員の皆さんが、会派を超えて、一致協力していただくことなしには、国会で可決、承認されることが出来ない法律です。

 

司法では、明治時代から「証書人・代書人・代言人」が存在しました。そして明治、大正、昭和と制度が整備されていきました。いまでは、証書人=公証人、代書人=司法書士、代言人=弁護士 へと脈々と受け継がれています。こちらに関する法案は当然、内閣が提出して成立されてきたものです。近代国家を形作るには必要不可欠な制度と考えていたのでしょう。

 

ここからは想像ですが、戦前までは日常の言葉は話せても、文字が読めない、書けない方がたくさんいて、そういう方が生活や仕事に欠かせない文書の作成を手広く請け負う「代書」といわれる人が存在しており、なかには依頼人に不利益なことをする人もいるので、その職務を法律で明確にした方が、国民の利益になるであろうと、議員立法を目指す動きが出来たのだと思います。

 

行政書士法の管轄が総務省で、書類を作成する分野が、他の専門職の方が担う分野以外、いわば「その他もろもろ」の扱いになっているのも、おそらくこの成立の過程と関係しているのだと思います。

 

さて実は、私の曾祖父のひとりが、大正から昭和の初期にかけて、ある街の裁判所の門前で、代書人、司法書士をしていました。それで私は祖母から時折「その頃は文字が書けない人のために、ラブレターを書いてあげることもあった」という昔話を聞かされていました。

 

曾祖父は残された写真で見る限り、明治生まれの人の厳格さが漂いますが、依頼人の話を聞きながら、ラブレターの文句を考えていることを想像すると、なんだか微笑ましく感じます。

 

当時は親や知人に紹介された相手と結婚というのが当たり前の時代ですので、異性にラブレターを送るというのは、人生の一大事だと思います。何とか上手くいかないかと、わらにもすがる想いで相談したのでしょう。

 

そのラブレターがきっかけで恋が実り、結婚をし、子を授かり、子孫が今もどこかで暮らしているのかもしれません。

そう思うと、代書という仕事もすごく意味のあるものに感じます。

 

正確には私は曾祖父とは職業が違いますし、会ったことも無いわけですが、代書という職業の先輩として親しみを感じています。

 

そしてこの祖母の昔話は、仕事をする上での大事な教訓になっています。