行政書士と私の人生 21(最初の引越し)

 

私はこれまで事務所を3回、引っ越しています。理由は様々ですが、最初の引っ越しは開業して4年目の頃です。

 

継続的に依頼されるようになり、補助者(スタッフ)1名と私で仕事を回している状態でした。最初に借りた事務所の間取りは6畳一間、給湯とトイレは共同、というスモールオフィスです。書類も増えてだんだんと手狭に感じるようになっていました。

 

そんな時、新しい物件の紹介がありました。区画整理されて新しくできた中心市街地で、県の総合庁舎や法務局まで歩いて行けます。市役所もクルマで5分ほどです。新築ほやほや、一階の路面、広さは倍くらい、南向きで日当たり抜群です。親しくしていた士業の仲間も同じエリアに事務所を構えていました。

 

心は大きく傾きましたが、問題は家賃の負担です。街中だけあって、4万円から一気に14万円になります。事務所の家賃だけではなくて、駐車場も別に確保をしていかなければなりません。

 

当時の事務所の売上高に対して、年間の地代家賃が10%以上になってしまいます。親しくしていた税理士からは「ちょっと割合が大きすぎるね」と言われました。

 

ただ、何の工夫もしなくても前年と比較して売り上げが1.5倍になるのが当たり前の時期です。「まあ月に10万円増えても、農転1件やれば賄える金額さ」と安易に考えました。

 

移転を決め、最初の事務所の大家さんに解約の申し出をして、準備に取り掛かりました。 机、椅子、書棚なども色やデザインを気にして、アスクルでまとめて買い替えました。事務所をおしゃれな感じにしたかったのです。

 

私の事務所が中心市街地にあっても、お客様の属性からするとお客様にメリットはありません。私の方からお客様のもとに伺うのがほとんどだったのです。役所の用事もだいたいまとめて動くので、歩いていける距離である必要はありません。

 

と考えると、最初の引っ越しの理由は「街中でやりたい」という私のエゴです。

 

4年目に移転をして10年目頃まで、6年間ほどこの物件にはお世話になりました。30代後半から40歳ごろまでの時期です。その間に結婚し、長男が生まれました。

 

採用については困ることがなく、いつも優秀で良い人に恵まれていました。

補助者(スタッフ)も常時2~3名という体制になっていました。

 

青年会議所(JC)のような団体の活動にも参加するようになりました。静岡文化芸術大学の門前にあったこともあり、政策を研究する大学院生として2年間通う、という一風変わった挑戦もしました。東北の震災では事務所を1週間ほど留守にして友人と気仙沼に滞在したこともありました。

 

本業以外に行動が多岐になる反面、油断、慢心がありました。何も工夫していなかったので、5年目頃から売り上げが下がり始めました。行政書士で売上が下がるというのは、本人が病気やけがで仕事に従事できる時間が少なくなる、という理由であれば想像がつくと思います。

 

私の場合には本業にかける時間を減らしてしまったこと以外に、特定の受注ルートに依存していることを分かっていて、他のルートの開拓をすることを怠っていたこともありました。

 

また何でもかんでも受注するので、非効率な仕事もたくさんありました。開業10年目になるころには色々な問題を抱えている状態でした。という訳で、次の引っ越しへと繋がっていくことになります。