古代道路と高速道路の意外な共通点

 

明けましておめでとうございます。

元旦は東の空にすこし雲がありましたが、朝日に照らされて黄金色に輝く富士山を自宅から望むことが出来ました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年末は久しぶりに家族旅行で伊豆の下田・稲取方面に出かけました。東伊豆に出るには、険しい天城山脈を越えなければなりません。道中うっすらと雪が残っているのを見て、伊豆の自然の険しさを感じました。

 

ところで最近、古代道路について書かれた本を読んでいます。「完全踏査 古代の道(木下良監修・武部健一著 吉川弘文館)」

 

古代道路は奈良・平安時代に全国に整備された道路網で、平城京・平安京を起点としており、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道の七つに分かれています。

 

私の地元は東海道となりますが、実はこの古代の東海道と私たちに馴染のある江戸時代(近世)の東海道とは別のルートを辿っている箇所が多いようです。

 

静岡市のあたりを例にとります。

近世の東海道は、宇津ノ谷峠を越え、丸子宿を過ぎて安倍川を渡ります。府中に入り駿府城に進み、お濠を迂回しながら興津宿に向かいます。

 

古代の東海道は、宇津ノ谷峠より南側の日本坂を越えて横田駅に至り、次の息津駅に向かってほぼ直線で突き進むルートになっています。直線道路にするために、見通しの良い山を目印に利用したようです。

 

当時は15~20キロごとに「駅」という施設が設けられていました。横田駅は現在のJR静岡駅の少し南側にあったようです。また息津駅=興津駅と考えて良いようです。

 

この古代のルートが何と東名高速道路と同じようなのです。著者の武部氏は旧建設省の技術者で長年、高速道路建設に携わり、静岡の工事では実際に幅12メートルもある古代道路の発掘にも立ち会ったとのこと。

 

そこで1000年以上も隔たりのあるふたつの道路にみられる共通点を発見しました。それはどちらも「最短ルートになるよう構想されている」ということだそうです。

 

古代と現代の技術者が同じような思想のもとで道路網を整備しているなんて、なんとも歴史的なロマンのある話ですね。