行政書士法人みそら代表、塩﨑宏晃の代表者挨拶ページの見出し画像。
はじめに、の見出しが入った画像
当事務所のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。代表の塩﨑宏晃より、行政書士となり事務所を設立するまでの経験や、日々の業務を通じて感じる想い、大切にしていることについて語るメッセージが記載された画像。皆さまとの良いご縁を願うあたたかい内容。
プロフィール、の見出しが入ったバナー画像
代表者プロフィール。得意分野は建設業許認可、経審対策、経営相談。血液型B型。特技は早寝早起きなど。資格は行政書士ほか。宝物は毎朝感じること。自戒の言葉は『直ぐに、自分で、〇〇を拭く』。仕事のモットーは『現場の知恵袋になる』。
私の原点、の見出しが入った画像
昭和46年生まれ。建築塗装店の長男として育つ。祖父は初代で現場を引退し、父が職人を率いていた。少年時代は人口増加と全国的な開発が進む時代で、父が家で休む姿はほとんどなかった。年に一度の夏休みの家族旅行を楽しみにしていた。
住宅新築の仕事が多く、塗り替えのお客様は半年から一年待つこともあった。毎朝7時頃、大工さんからの電話で職人たちが集まり、トラックで現場へ向かう。夕方、職人を乗せたトラックが戻ると、私は弟と荷台の一斗缶や道板などで遊んだ。
ペンキの匂いを嗅ぐと今でも安心する。週末の夜には父の仕事仲間である大工さんや水道屋さんが自宅に集まっていた。幼い頃から建設業や職人に親しみを感じ、その経験が今の「建設業を支える」という使命感につながっている。
ルーツ、、の見出しが入った画像
曾祖父は大正から昭和初期にかけて、裁判所の前で司法書士(当時は「代書人」と呼ばれていた)をしていました。字が書けない人も多く、依頼人のためにラブレターを書くこともあったと祖母から聞いています。
当時は今のようにLINEなどで気軽にやり取りできる時代ではなく、ラブレターを書くことは一生に何度もない大きな決心が必要な行為でした。その一通のラブレターがきっかけで依頼人の恋が実り、結ばれ、家庭を築けたかもしれないと思うと、とても意義深い仕事だったと感じます。
職業や面識、血縁はないものの、自分にはDNAがつながっていると感じ、縁あって同じような仕事に就いていると思っています。当時のラブレターにあたるものを、今は「建設業に特化した行政書士事務所の運営」として表現している、という内容です。
きっかけとなった経験、、の見出しが入った画像
東日本大震災で気仙沼のボランティアに参加した際、私たち行政書士の仕事は、こうした非常時には相談に応じることぐらいしかできないと感じました。この経験から、自分の職業の価値について改めて考えるようになりました。
普段から建設会社を支えることで、間接的に役立てると気づきました。 緊急時の作業は国が計画しますが、実際に動くのは地元の建設会社の社員です。 会社の経営状態が、動けるかどうかの鍵となります。
普段から内部留保や従業員の結束、重機の手配力が重要です。だからこそ、建設業許可や経審を通じて、日常的にお客様の経営を支えることが大切だと考えています。
今後の展望とメッセージ、、の見出しが入った画像
自動車産業に次ぐ日本のGDPの約1割を占める建設業界の発展にどう貢献できるかは、私が行政書士として持ち続ける課題です。建設業者様の未来のために多角的にサポートしていきたいと考えています。
令和5年から国土交通省のオンライン申請システム(JCIP)が稼働し、一部の都府県を除き、全国の建設業許可や経営規模等審査の手続きがリモートで可能になりました。どんなご相談もお気軽にどうぞ。

行政書士と私の人生。実体験を綴ったブログ紹介のリンクバナー
行政書士を志したきっかけから試験合格、開業後の挑戦と喜びまでを赤裸々に綴ったブログシリーズ『行政書士と私の人生』の紹介文が書かれた画像。仕事への想いや葛藤を通じて読者の参考や励みを願う内容。
進路を決める
司法書士試験

補助者になる
登記と測量

やりがいと資格
禁煙と勉強

試験本番
本との出会い

開業を模索する
忠告の意味

物件探し
パソコンスクール

マーケティング
事件簿第1号

仕事が無いとき
経営とは

軌道に乗る
雇用と教育

代書の意味
会員同士の交流

最初の引越し
正社員の雇用

二度目の引越し
海を漂う手漕ぎ船

船頭と船長
街のコンビニ

これから